日本大学芸術学部文芸学科卒。フリーランスライターとして2019年から活動。これまでの掲載先は Real sound、rockin'on、マイナビウーマン、ダ・ヴィンチ、主婦と生活社など。セクシャルマイノリティ/ジェンダー分野に興味を持ち、クィア映画を積極的に鑑賞し、自費出版でオリジナルクィア小説を発行するなど、常に多角的な視点を持ち自分の言葉で発信することを信条としている。
女子の転校生に対してモヤモヤした、よく分からない感情を抱き、気になっていた小学生時代や部活の先輩に憧れていた中学生時代
女子しかいない女子校時代。振るまいも男性寄りになっていき、女性と付き合う。その経験がその後の人生に大きく影響を与えていった。
多様性の面でどうすれば属性での衝突を減らしていけるのかを考えている。学ぶことの大事さと女性として生きることの良さについて
悩んでいる人に対してのメッセージ。まずは言葉や何かであらわすということ。
自認や振る舞いは女性寄りで違和感はないというエヌさん。しかしグラフを描き進めているうちに、初めて同性を好きになったときのことを思い出したようです。それは今の性的指向にもつながっているようです。
幼少期の振る舞いは女性寄りではあるものの、どちらかというと中性寄りだったのでしょうか?
女児向けのアニメやフリフリしたもの、キラキラしたものが好きでした。今までで一番女の子でした。遊ぶ友達も女の子が多かったです。
でも小学校の時に転校生(女の子)が来て、その子のことがとても気になったのですが、なぜそんなに気になるのか自分の気持ちが整理できなかったんです。それで、その子に冷たく当たったり、少し意地悪をしてしまって。でもよく考えれば、それはその子のことが好きだったんだなと思いました。その時は自分が男性になりたいとか、そういうことすらもわからず、本当にモヤモヤした、よく分からない感情を抱いているという感じでした。
悩みというよりは、その子への気持ちの正体がわからなかったという感じでしょうか?
そうですね。でも、やはり今思うとそのおかげで自分に気づいたというか、自分が女性を愛することができるということを理解する始まりだったんじゃないかなと思います。
当時の意中の方はどのような方だったのでしょうか?
大人びていました。私の中で好きと憧れは少し近いなと思います。自分もなりたいというような。中学生のときは異性とも仲良くしていましたが、吹奏楽部の女子の先輩に憧れていました。その方もサバサバしたかっこいい感じで、 本当にただただファンのような感じだったんですが、 ロールモデルのような感じで思っていました。
自分でも不思議なのですが、例えば、かっこよくてサバサバしてるような人を好きになると、自分は守られる側というか、庇護される側のように思うんです。でもなりたいのはかっこいい女性なんです。なので、やはりどこか中性的だったり、男性らしさみたいなものへも憧れがあるのかなと思うんです。でも自認は女性なんですよね。自分でも面白いと思います。
まさに以前インタビューさせていただいた方が『自認は違和感はないものの、100%ではない』と話されていたのですが、エヌさんの場合は何の疑いもなく女性です、というような気持ちですか?
はい。そこは本当にそうなんです。なので、例えばサイトなどで性別を答えるときはなんの迷いもなく「女性」を選ぶくらいにははっきりしています。今まで女性ということで嫌な思いをしたり、決めつけられて嫌だった経験なども全然ないんです。
例えば「女性はかわいくあるべき」というようなラベリングなどについても違和感はないですか?
ないかもしれません。女性らしくもありたいと思っているんです。女性は女性らしくある、それっていいじゃん、とも思うというか。世の中のイメージする「女性らしさ」にも憧れがありますし、サバサバしていたり男性的なものにも憧れがあるという感じなんです。ただ、今まで嫌な思いをしたことがない分、視野が狭くならないように気をつけようとは強く思っています。
嫌な思いや差別を受けていないということは、自分はマジョリティの人間だと思うんです。でも男性を好きになったことも、女性を好きになったこともあるということは、見方を変えたらマイノリティなのかなとも思うので、当事者の人の気持ちもわかっていたいと思うんです。
高校に入り彼女ができたエヌさん。かわいらしいタイプの彼女とのコミュニケーションを通し、振る舞いは男性寄りになったそうです。
振る舞いが男性寄りになるのは高校時代でしょうか。
そうですね。 高校ですね。 共学の中学から女子校の高校に進学したんです。女子校あるあるではと思っているのですが、かっこいい感じの子は王子様のような扱いをされたり、見た目や雰囲気でそれぞれの役割みたいなものがあったんです。なので女子校に入った途端に私も男性役というようなポジションになりました。
普通にカップルもいましたし、私の場合は可愛い感じの子が私のことを好いてくれて、それがすごく嬉しかったですし、お付き合いもしました。その時は前述した通りかっこいい女子に憧れていたということもありますが、相手が可愛い感じの子だったのでかっこよくなろうと思ったというのもあります。
同性しかいなくて異性が不在だからこそ…という一面もあるとは思います。当時は今のように多様性など言われている時代じゃなかったですが、付き合っているのを見ても自然というか、変に言及したりもしなかったですね。
それが一番いいですよね。同性と付き合ってるということに対して悩む方も多いですが、あまりそういったこともなかったのでしょうか?
3人で仲が良かったのに、そのうちの2人で付き合ってしまったので、残された1人がすごい傷ついてしまったということはありました。でもそれくらいです。
先ほど、若さゆえに異性を埋める一過性で同性とお付き合いされる方もいるとおっしゃいましたが、エヌさんとしては女性も恋愛対象であるということを自覚したポイントだったのでしょうか?
そうですね。多くのセクシュアリティ自認におけるタイミングがそうであるように、もともと自分がそう(バイセクシャル)であったのを、環境によって自覚するという感じだったと思います
高校以降のグラフを描くうえで非常に悩まれていましたが、どのような悩みなのでしょうか?
言語化が難しいのですが…振る舞いの願望として、現代の30代の平均的な女性像になりたいというか、小奇麗なカジュアルな女性になりたいと思っているんです。ちゃんと自分をケアして、適度に文化的な生活を送っている。そんな平均的な女性になりたいという思いもあるんですが、それと反して恋愛ではまた女性と付き合ってみたいなとも思っているんです。そうしたときに、振る舞いが少し男性的になるかもしれないと思ったんです。
高校時代の経験が影響しているということでしょうか。そのことを本にもされているんですよね。
はい。今思い返すともう恥ずかしいぐらい恋をしてたなというような感じで、エモーショナルだったなと思いますし、高校時代の青春はもう二度と戻らないなという感じで鮮烈に記憶に残っているんです。それを本にしました。
でも、あまり良くないことだと思うんですけど、普段は振る舞いをマジョリティに寄せてるというか、よそ行きになっている感じはあります。こうしていれば普通に見えるだろうという擬態ですね。周囲にとって自分がノイズになりたくないという気持ちがあるんです。
それはコミュニティから浮きたくないような感覚ですか?それとも認められたいという感覚でしょうか?
それもありますが、創作で抜きんでたい気持ちがあるんです。でも地に足をつけて、あまり冒険せず、穏やかに生きようと抑圧している節があります。自由に生きたいと思うんですが。
エヌさんの思う自由とはどのような生き方ですか?
パンクになりたいですね。ちゃんみなさんのような、 言いたいことを言うし、ちゃんと自分の意思があって、周りに迎合しないようになりたいですね。自分を抑圧してしまうのも、ビビってるんだと思います。 少し社会規範から抜けてしまっている感じがするというか、全然勇気が出てないんです。周りを気にしているんですよね。
私は周りの人から優しいとよく言われるんですが、優しいんじゃなくて、優しさと強さを合わせ持ちたいというか、『自分はこう』という確固たるものがあって、だけどいろんな人がいていいんだよという優しさを持つ人になりたいと思います。
そういった振る舞いへの悩みやモヤモヤした際はどのように対処していますか?
自分が感じたことのない感情を知りたくて映画を見ますね。やはり当事者がどう思っているのかなど、時代によってどういうふうに受け止められているのかというのを知りたいという気持ちが大きくて、LGBTQ関連だとトランスやゲイの方が主人公の映画をよく見ます。