interview

「男らしさ」はエナジードリンク。自分らしく人生を楽しむコツは友達を作ること!

伊藤聡
ライター
2026.3.10
「男らしさ」「女らしさ」が今より色濃く人生に影響を及ぼしていた80年代、90年代を過ごされた伊藤さんは、かつてその「男らしさ」に憧れていた時期もあったそうです。そんな伊藤さんが「らしさ」から降りたきっかけと、今の想いを伺いました。
伊藤聡

ライター。著書『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)ほか。週に2回、映画館とサウナへ行きます。映画評、書評、美容記事、ジェンダー論が好きです。いまは中年男性が友だちをつくる方法を考えています。

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ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4
  1. 「男らしさ」「女らしさ」が今より色濃く蔓延る時代を過ごした若年期

  2. 「男らしさ」は良くないものかも?と疑問が湧き、少しずつその有害性を研究し始める。

  3. 「男らしさ」の有害性を考えた末、「友達作り」がそれを緩和するのではと提唱し始める。

  4. 引き続きジェンダーラベルについて考えながら、今に至る。

  1. 「男らしさ」「女らしさ」が今より色濃く蔓延る時代を過ごした若年期

  2. 「男らしさ」は良くないものかも?と疑問が湧き、少しずつその有害性を研究し始める。

  3. 「男らしさ」の有害性を考えた末、「友達作り」がそれを緩和するのではと提唱し始める。

  4. 引き続きジェンダーラベルについて考えながら、今に至る。

INDEX
  1. 「男らしさ」「女らしさ」が今より色濃く蔓延る80・90年代
  2. マッチョは違うかも?新しい気づきを得て、「マッチョ降り」。
  3. 友達、そして雑談の大切さ
  4. マッチョと向き合ってきた伊藤さんが感じる、ジェンダー。
振る舞ってきた性
性自認

第3章 友達、そして雑談の大切さ

マッチョのことを考えた末に気がついた、『友達の大切さ』。伊藤さんは現在60歳までに友達を20人つくることを目標にされていますが、それは単なる『友達作り』ではなく、『らしさ』から降りて人生を楽しく生きるという行動を表した言葉でした。

noteの記事にも”友達は共感である”という記載があって、本当にその通りだなと思っています。相談されるとやっぱり相談されてるから解を出さなくてはいけない、という思考になりがちだと思います。

解はいらないんです。正論は役に立たないんですよね。正論を言われたって、悩んでいる本人はさらに落ち込んでしまうわけじゃないですか。相手の落ち込みをなくすような、上手い共感の仕方があったり、人に悩みを解決してもらうとか、心を軽くしてもらうという経験があるとマッチョな男性性がそこまで重要じゃないと言うことに気づくのかもしれないです。

ご自身でもやはり悩みを話しづらいなどありますか?

男性同士だと、困りごとを打ち明けても、『努力が足りないんじゃないか』といった話になりがちで、それだと余計に落ち込んでしまうので、あまり言いたくない、という気持ちがあるので男性にはあまり話さないです。その結果、友達は女性ばかりになってしまいますね。女性は比較的すぐ友達になれるし、『みんなで集まりましょう』と声をかけたときに、女性の方がフットワークが軽い。男性に来てもらうのは大変だけれど、女性のほうが自然に仲良くしてくれる印象があります。だから、男性の友達があまりいないことは、少し悩みで、本当は男性の友達もほしいなと思っています。

女性はちょっとしたものをよく渡してくれますよね。『これ、よかったらどうぞ』と、ちょっとしたお菓子をあげる。それだけのことなんですが、次に会ったときに『この前お菓子もらったから、今日はこれどうぞ』と返すことができる。そうやって、小さな貸し借りが生まれる。人間関係は『この前これをしてもらったから、じゃあ今度はこれで』というやりとりがあるほうが、続いていくきっかけになると思うんです。男性は、その“貸し借り”があまりない。借りを作らないほうがいい、というように思っているところがあるのですがそれはあまり健全ではないと私は思っています。

貸し借りについては、ちょっと変わった話があるんです。『シートン動物記』を書いた彼のお父さんはかなり変わった人で、シートンが成人したとき、手紙を送ってきたそうです。その内容は、彼が生まれてから成人するまでにかかった、おむつ代、ミルク代、服代…などをすべて書き出した明細で、『お前を成人させるためにかかった費用だ』と請求書にして送ってきた。シートンはそれを見て落ち込んだそうですが、結局その金額を払って、その後親子は二度と顔を合わせなかったといいます。つまり、すべてを精算して、ゼロにしてしまう関係は、そこで終わってしまう。人との関係には小さな貸し借りを残しておいた方が、継続すると思うんです。

自分は強いんだという風に思っていても、人と喋っていない、人に悩みを聞いてもらえない、雑談ができないとなると人の心はすごく病んでいくというか、心が弱っちゃうと思うんですよ。雑談や人と喋ることは楽しいと思っていますが、『楽しい』という感じもなかなか共感してもらえない部分が多いので、友達を作るというのが1番というか、ハッピーに近づく最短距離だと思っているので『友達を作ろう運動』を私はしています。

伊藤さんの『友達』の感覚はどのくらいの関係性ないのでしょうか?

人に聞くと、『ちょっと話しただけでも、もう友達だと思っている』ということもあります。私の友達の定義は『1年に2回、個人的な場で会えば友達』というものです。1年に2回会うだけで友達としてカウントします。私の感覚では『1年に2回会うといったらめちゃくちゃ仲いいじゃん!』という感覚です。1年に2回会って、連絡を取り合い、一緒に飲みの場で何時間も過ごすわけですから、もう『しょっちゅう会っている』くらいの感覚です。それは十分に仲が良いと思います。

友達と言うとどうしても親友をイメージしてしまいがちですが、それほど大げさに考えなくてもいいんです。親友とは『松方弘樹と梅宮辰夫がカジキを釣りに行くような感じだ』というイメージがおじさんはあるようですが、ちょっと仲の良い知り合いぐらいでいいと思うんですよ。別に大親友じゃなくても、ちょっと仲の良い知り合いが20人いたらすごく良いと思うし、別にそれ以上、そんな無理して仲を深める必要もないと思います。

世の中の人々が疲れてるのかなというのはすごく思います。人と話すことは楽しいけど、同時に疲れてることもあるから、もうそんな体力ないよ。引きこもりたいという部分が現代にはあるのかなと思いますね。

でも雑談しないと、生きていけないと思いますよ。多分、人はどうでもいいことを話すということで生きる気力が湧いてくるというか、元気が湧いてきます。そういう雑談などをできるような人が増えれば、世の中すごく良くなるんじゃないかなと思います。

だから長期的にプラスになるためにはマッチョはやめた方がいいのですが、そのほんの一瞬のすごく短いスパンで考えた時に、マッチョのダッシュ力で一瞬勝ったように見えちゃうから、やっぱりそちらに行った方がいいんだとついつい思っちゃうんです。でも実際は人生もすごい長いものなのでトータルで幸福度を上げるって考えた時に、マッチョはエナジードリンクと同じだと思うんです。飲んだら徹夜できるかもしれないけど、疲労がなくなったわけじゃなくて、無理やり元気を持続させていて、先延ばしにしている状態に感じます。結局いつかは寝なかった分のしわ寄せがやってきてしまうわけです。そう考えると一瞬勝っちゃうというのはマッチョのややこしいところで良くないと思うんですよね、すごく難しいですよね。

第4章 マッチョと向き合ってきた伊藤さんが感じる、ジェンダー。

マッチョと向き合い、現在は中性寄りという伊藤さん。かつては憧れたマッチョを諦め、自分らしく生きる秘訣を伺いました。

伊藤さんはマッチョから降りて、現在はほぼ中心に寄っているとグラフに書かれていますが、生きやすくなりましたか?

生きやすいというか、今は”自分”を無理していないし、人とコミュニケーションが取りやすくなったという意味で、やっぱりそれでよかったのかなと思えます。でももうこの年齢になると、別に女性に好かれてどうのこうのということを考えなくてもよくなったから、自分はそういう男らしさを別に捨てても損がないからなのかなとも思います。20代、30代という、いろんなことに対する欲求がいっぱいある世代の人たちに、『いや、別にそんな女性とお付き合いできなくたって別にいいじゃん』ということ言っても、『いや、よくないですよ』という風に言われちゃうと思います。

理想の自分と現実の自分の乖離は誰しも感じることだと思いますが、折り合いをつけるポイントとして、アドバイスはありますか?

自分が苦手だなと思ったら、頑張っても変わらないです。そういうのができない人は別の方向を考えてほしいです。最終的には、友達を作りましょう、スキンケアしましょうと色々言ってるんですけど、結局は、男らしいということをやめるというか、そこにこだわっても全然幸福になれませんよということが1番言いたいことではあるんです。でも、それを言うのはなかなか説得が難しいので男らしいということをやめたらこういう得があるんですよ、という言い方にしたり、こういう風に幸せになれるからすごくいいんですよ、という風に言ったりするのがいいのかなと思ったりします。

”幸せ”とはなんですか、ということを考える機会があれば、様々な幸せの形があるとわかるのですが、積み上げてきたものが根深すぎて、”幸せ”はこういうものだと思って、その前提を疑う機会がないのかもしれないですね。

そんな世界から私たちを救ってくれるのは、案外、雑談なのかもしれないのでオススメしています。話す内容はなんでもいいと思うんですよ。しょうもないことを喋ることによって、自分の減ってしまったエネルギーやパワーを元に戻せると思うんですよね。話をするということによって、削られてしまった元気を取り戻している感じが私はすごくあるんです。喋ると結構元気を取り戻せるというのは、なんとかわかってほしいなと私は思いますね。

男らしさのお話がたくさん出てきましたが、性別のラベリングや押し付けがまだ世の中にある中でどうしたらそれがなくなると思われますか?

なぜ『男らしい』『女らしい』というものが残っているのか。私の予想では、それをやることで“得をする瞬間”があるからだと思うんです。『男らしく』『女らしく』と言う人は、過去にそのやり方で少し得をした経験やうまみがあったのかもしれないです。例えば、女らしく、あまり意見を言わずにおとなしくしていたら、波風が立たずに済んだとか、世渡りがうまくいったとか、トラブルを避けられたとか。同じように、『男らしくしろ』と言う人も、かつてそう振る舞うことで評価されたり、何かを得られたりした社会を生きてきたのかもしれない。

だとすれば、そこで得をする仕組みそのものをなくしていけばいいのかな? というのが私のアイデアです。男らしくしても特に得をしない、女らしくしても特に得をしない。そういう社会になれば、わざわざ誰も『らしさ』にしがみつかないはずです。結局、『らしさ』によって報酬が発生しない社会にしていくことが、大事で理想だと思うんですよね。ただどうやったらその『男らしい』『女らしい』で得がない社会を作れるかということになってくると、これが実は結構難しい。そうすると男らしい、女らしいを乗り越えられるほどに強い心を持つというのは、大変なことだと思いますよね。

このメディアは性別に悩んでいたり、理想とのギャップもある方の読者も多いと想定されます。様々な悩みとの向き合い方のコツやアドバイスがあれば教えてください。

男らしくない、女らしくないと言われた時に、じゃあそうなれるように頑張ろうと思っちゃう人が結構多いと思うんですけど、多分それが1番大変で1番本人にとってダメージが大きくて辛いことばっかりなんですよね。自分の元々持ってる性格は変えられないと思うし、変えたところで幸せにはなれないと思うんですよね。だからそこは無理して自分の人格を曲げたりすることは良くないですし、今の性格のままで楽に生きられる方向にシフトした方が絶対良いです。

私も、男らしくないとこのままだと誰も受け入れてくれないのではないかと思っていたんですけど、そんなことはなくて、どんな状態であっても受け入れてくれる人というのは一定数居るんですよね。そういう自分を受け入れてくれる人を探す方に考えた方が絶対いいと思います。

あとは、何度も言っていますが雑談ほど面白いものはないと思うんです。ただ取りとめもなく話しているだけで、気持ちが軽くなって、悩みも少しほどけていく。もしかしたら、人生の問題の多くは、ちゃんと雑談ができれば、かなり解決に近づくのかもしれないとさえ思います。『男はなぜ孤独死するのか』という本がいい本なので読んでほしいんですが、私が今、友達を20人作ろうとしているのはこの本に影響を受けました。

この本を書いた人のお父さんは友達がいなかったんですが、すごいお金持ちなんです。でも一生遊んで暮らすことができる以上のお金を持っているのに自殺しちゃうんですよ。著者はその理由をやっぱり父には友達がいなかったからだと考えたんですよね。お父さんは会社をやっていたんですけど、周りの人を『この人は便利だぞ』『この人と一緒にいれば儲かるぞ』『この人とは使い勝手がいいぞ』というツール的なものとしてしか関係を作っていなくて、最終的には関係性も終わっちゃうんですよ。

色々な関係が切れていった時に、友達いないじゃんということになって、自ら命を絶ってしまったということになります。筆者は、やっぱり友達がいないということが相当まずい。確かにお金は儲かったけど、そのお金があったって自殺しちゃうのだから僕は友達を作らなきゃいけないんだ、ということに気づいて、本を書いたんですよ。それを読んだ時に、『すごい。これはいろんなことに当てはまるぞ』という風に思いまして、この本はおすすめです。すごくいいと思います。

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