千葉県出身 もともとストレートで生きていたが、平成から令和に移り変わる2019年に、モデルの「井手上漠」が体現している”性別に囚われない生き方”に出逢い、ジェンダークィアを目指して自らを“みがく”日々。性別の無い世界を表現したい。なお、SO(セクシャルオリエンテーション)は変愛のみ女性である。
世の中の「男性らしさ」に悩む幼少期
男性らしさのラベリングに違和感があるが女性になりたいわけでもない
クィアという生き方がしっくりきた
クラレさんが悩んだ最初の出来事は、「男子」という「らしさ」の押し付けからくるものでした。
性自認は男子寄りですが、小学校後半になるにつれてそのことがとても苦痛に感じるようになりました。男らしさ、女らしさとはなにか悩み、自分の性別が気に入らないと思い始めた時期です。
当時はシスジェンダーだったのですが、自分のアイデンティティがゆらいでいました。シスジェンダーだけど、他の男子より弱かったからか男らしく扱われず、辛い毎日を送っていたんです。
幼少期から振る舞いは中性的だったのでしょうか?
そうですね。電車が好きでしたが、そこまで熱中するほどでもなかったです。男女はそんなに意識はしていなかったですね。
小学生くらいのときに「男子の辛さ」に気がついたのですか?
成長期に1番悩んだのが体の変化であり、辛さを感じるきっかけでした。筋肉がつくことが嫌だったんです。男子だと、「筋肉がついてムキムキになるもの」という概念があると思うのですが、「もっと筋肉をつけろ」など、自分の身体に対して他者から色々と言われるのが嫌でした。特に学生時代は他の男子より体力を始め、運動能力など周の違いに悩んでいました。
周りとの身体的能力の差が「男子の辛さ」と感じていた要因の一つだったのですね
自分が想像する男子はやんちゃだったり元気なイメージがあるのですが、そのイメージと実際の自分と乖離があると思っていました。
この頃はシスジェンダーとして生きることが嫌になっていたので、自認の線は真ん中に寄っています。女の子だったらどうなっていたのかと考えたこともありました。かといって、それはそれで自分の性別に逆らっていて、ルールを破ってる気がすると思っていましたし、でも世間の「男子像」との乖離に悩み、男性自体も嫌だと思っていました。
学生時代はそういった悩みを話す相手はいましたか?
仲良くできる人はわずかでしたがいました。でも性の悩みなどそういう話は一切せず過ごしていました。いつも生まれた性別を間違えたのか、それとも時代を間違えたのかと思っていました。当時が今の時代のようにもう少しジェンダーへ理解があったり、生まれるタイミングが今より10年か15年くらい遅ければ違ったのではと思います。
男子である自分の体つきに納得いかず、さらに必要以上に男扱いされることが嫌で性別というものに嫌気がさしていました。
男性自体に対しても嫌悪感を抱いてるのでしょうか?
そうですね、いわゆる「男らしい男性像」に嫌悪感があります。
クラレさんの中の「男らしい男性像」ではない人というものはどういうものなのでしょうか?
いわゆるオラオラしておらず、全ての人に平等にできる人でしょうか。よく男女の立場や、世界中の性別への概念が逆になったらどうなるのかと考えます。最近「私のお嫁くん」(※柴なつみによる漫画。2023年4月期にドラマ化された)というドラマを見たんです。この2人はシスジェンダーなのですが、キャリア系の女性と、オドオドした感じだけどやるときはやるタイプの家事系男子が出てくるんです。こういう世間一般の「男は仕事、女は家事」という概念から逆転したものにときめいたり、興味を惹かれます。性別に対する概念が取り払われた役割のパターンがもっと広まれば、きっといろんなことができるんじゃないかなと思いました。
そういうことを思ったきっかけはありますか?
やはり小学校の頃くらいに「男なのに弱いのはありえない」「男が泣いてどうするんだ。」など、そういう概念に触れたことがきっかけです。「じゃあ女ならいいのか」というとそれも違う気がしますし、モヤモヤしていました。当時はそれが常識なんだと捉えていましたが、納得いかなかったら口に出しても良かったなと今は思います。
ご両親がそういった「男女のらしさ」について言及される場合も多いと思うのですが、クラレさんのご両親はどうでしたか?
以前はそういう傾向がありましたが、昨今の世の中のジェンダーに対する考え方の変化に気がついて、言わなくなったんです。感動しました。でも、たまに言われると反論します。仲の良い家族なので、言い合える環境ではあります。世の中のジェンダーへの理解が深まる中で、親にも話をすると、わかってくれました。
最近はSNSで炎上しやすい世の中じゃないですか。特にジェンダーの話はセンシティブですし、私自身もジェンダーに関することに共感を持つのなら、侮辱するようなことはもちろん言わないように心がけていますし、世の中のジェンダーに悩む人へ、力を込めて協力したいと思ってます。ただ、ジェンダーにしかり相談された際に悩みを解決できるような答えが出ない時もあると思うので、そういったときにどうするのがいいか悩んでいます。
たしかに難しいですよね。でも答えは無理に出さなくてもいいと思います。
確かにそれが答えかもしれないですね。
相手もおそらく明確な答えは求めていないことが多いと思います。例えばその分野で権威のある人に相談していたら、もしかすると明確な答えを求められているかもしれませんが、自分に相談されたという時は、自分の目線から見てどう思ったかを率直に伝えたら、答えが出ないことに対してもそれが1つのアンサーではあるかなとは思います。
そうかもしれないですね。最近ジェンダーアイデンティについて考えているんです。例えば性的マイノリティだけではなく、マジョリティと思っている人でも悩んでいる人もいるんじゃないかと。そうしたときに、言葉1つ変えるだけで悩みが軽くなる時もあると思うんです。
例えばカメラマンという言葉は昨今フォトグラファーに変わっていますよね。そういった名称を変えるだけで悩んでいる人の気持が変わる事があると思っていて、そうすれば多くの人が傷つくことのない世界になるんじゃないかと思っているんです。
それを意識していたのは、やはり学生時代に苦しいと思い続けていたからですか?
まさにそうですね。男子の自分を捨てたいという気持ちは確かにありました。でも、前述したとおり、世の中のルールに背いてるように感じていて。だから女性になりたいということも違うとモヤモヤしていました。
世の中のルールとはどういうものでしょうか?
世間にはまだ「男らしさ」というルールがあった時代でしたからね。そこに疑問を持っていました。
男性らしさというラベリングに違和感を感じつつも、だからといって性別を変えたいと考えていたわけではないというクラレさん。その背景について伺いました。
男女二元論が受け入れられなかったんです。男性らしさというラベルを貼られるのも嫌だけど、じゃあ女性になりたいかというと、なんだか女性専用車両に乗ってしまったような罪悪感があって。なので、自分の身体的特徴の中で違和感がある部分を変えていこうと思ったんです。例えばヒゲを脱毛してみたり。
例えばですが、体が女性になれば違和感は起こらなくなると思うのですが、そういった事は考えなかったのでしょうか?
手術は一切考えたことはありません。自分が思う理想の人というものが、女性的な顔つきの男性や、女装が似合う男性だからかもしれません。
女性になりたいというわけではないということですか?
男らしさの概念に嫌気が差して、「自分が女性だったらどうなっていたんだろう」と思ってはいましたが、女性になりたいかと言われるとまた少しニュアンスが違うんですよね。
お話を聞いていて、そのバランスがすごく興味深いなと思いました。社会通念的に存在する「男性像」に嫌悪感を感じる場合、女性的な方に行ってみたいと思う人がいますよね。アクションをするところまでは行かなかったのでしょうか?
勇気が出なかったですね。もし、もっと私の顔が女顔タイプで自分に自信があり、女装似合うと確信が持てていれば挑戦していたと思います。
例えば辛いと感じたときは、なにか調べたり情報を得ようとしていたことはありますか?
悩んでいたころはまだジェンダーへの理解も情報も世間に浸透していなかったんですよね。だから自分も男女二元論で、性別は2つだけだと思っていたんです。だけどテレビで井手上 漠さん(※タレント、ジェンダーレスモデル)を見て、衝撃が走りました。
その後井手上 漠さんを調べて、性別に囚われなくていい生き方があるんだ、と気がつくことができたんです。井手上 漠さんを見て性別に抗う姿や性別という概念に囚われず人生を生きる姿を見て希望を抱きました。あとは最近だと氷川きよしさんもすごいなと思います。両者を通し性別に囚われないという答えにたどり着けた気がしました。
男として扱われないことが嫌なわけでもないんです。ただ納得できていない。だからといって体の性別に反していることをするのも違和感があるんですよね。さらに上記の二人に加えて、宇多田ヒカルさんがノンバイナリーであることをカミングアウトしたことを知って(※2021年6月26日に自身のインスタグラムのライブ配信でノンバイナリーであることをカミングアウトした)、「性別、捨てちゃえばいいのか」と思ったんです。性別がないというとノンバイナリーやXジェンダーなどがありますが、ジェンダークィアが一番納得感がありました。今後自分がXジェンダーだけでなくアンドロジナスの要素や、全てのその他のジェンダーを持つこともありそうだと感じ、クィアとして生きていくことを決めました。