interview

男女の性を行ったり来たり。迷いながら少しずつありのままで生きていく

Pooh
2025.5.1
幼少期から性自認に違和感があったというPoohさん。ご両親や他者への振る舞いに迷いながらも、友人や広い世界を通して視野を広げたようです。その生い立ちや、リアルな不安、悩みを伺いました。
Pooh

現代ほどLGBTQの理解がなかった1990年に男として出生。人生の黒歴史だった保育園〜中学校、目まぐるしい変化があった高校〜大学時代へ経て多難ながらも個性的な人生を経験中。航空ファン(男目線では飛行機のカッコよさに魅了され、女目線ではCAさんの制服や所作に憧れている)、フェレット好き。

ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4
  1. 押し付けられる性のラベルに違和感を感じた幼少期

  2. 上海での留学生活で見えた新しい視点

  3. ゆらぐ自認の性とふるまいの性

  4. 性の悩みと将来の悩み。複雑に交差する思いの中で感じること

  1. 押し付けられる性のラベルに違和感を感じた幼少期

  2. 上海での留学生活で見えた新しい視点

  3. ゆらぐ自認の性とふるまいの性

  4. 性の悩みと将来の悩み。複雑に交差する思いの中で感じること

INDEX
  1. 押し付けられる性のラベルに違和感を感じた幼少期
  2. 上海での留学生活で見えた新しい視点
  3. ゆらぐ自認の性とふるまいの性
  4. 性の悩みと将来の悩み。複雑に交差する思いの中で感じること
振る舞ってきた性
性自認

第1章 押し付けられる性のラベルに違和感を感じた幼少期

保育園のときから与えられるおもちゃの種類などから性のラベリングに違和感を持っていたというPoohさん。そこからどのように成長していったのでしょうか。

結構めまぐるしく迷っていたので線はギザギザです。でも、やはり男として育てられたので、振る舞いは結構男性寄りです。幼少期は特に周りに合わせざるを得なかったという感じで、一番最初は思いっきり男性から始まり、小学校や中学校ぐらいから少しずつ中性寄りになり、だんだんと物事を悟って今に至ります。

幼少期はどのようなお子さんでしたか?

保育園では「男は男、女は女」といった教育をしていたので、それで男性的になったと思います。神奈川県だったのですが、結構歴史がある保育園らしく、昭和の匂いがプンプン残っていました。

昔ながらという感じですね。なんとなくおぼろげですが、使う折り紙の色なども男の子には青系、緑系、女の子にはピンク系、紫系と分けてたような記憶が残っています。

そこまで徹底されているんですね。使用を制限されたりもしたのでしょうか?

そうですね。男の子はこっちから選んでね、女の子はこっちから選んでねと言った具合で、そういうことは記憶に残っています。幼いながら「この保育園、あまり好きじゃないな」と思っていました。もしかすると、当時から女性寄りの自認だったのかもしれないですね。

自分の性に違和感を感じていたのでしょうか?

なんとなくキティちゃんが好きだなというのがあって。でも、おもちゃも女の子向けのものは遊ばせてくれなかったんですよね。男の子向けは大体仮面ライダーや、ウルトラマンなどが用意されていて、「はい、こっちおいで」と保育の先生はそう言ってくれるけれど、なんとなく「これで遊ぶのよ。」という圧力も感じていました。本当は女の子のおもちゃで遊びたいと思っていても、言えなくて我慢してウルトラマンのフィギュアなどで遊んでた記憶はあります。だから1990年代半ばはやむを得ず男性的になりました、といった具合です。

小学校は保育園ほどはひどくはなかったですが、やはり保育園と同じメンバーの子たちがそのまま小学校に上がるので状況としてはあまり変わらずでした。中学校になってくると、人によっては恋人がちょろちょろでき始めて、あまりお互いのことに興味をもったり干渉しなくなりましたが、ここまで同じメンバーなこともあり、居づらかったです。それで色々自分はどういった人間なのかと葛藤していきました。

その後高校に入って、いろんな学校からいろんな人が集まってきて、まるっきり違うメンバーになったんですよ。そのため高校時代は結構はっちゃけていたと思います。周りもすごいフランクな人が多かったんです。性的マイノリティではないけど、性別なんかどうでもいいという感じの人が結構多くて。男でも女でも、普通友達だったらあまりスキンシップを取らないイメージがありますが、高校は結構男女関係なく恋人でもないのにスキンシップを取る人が多い学校でした。

すごいですね。海外のような雰囲気だったのでしょうか?

元々が女子校で、その後男子も受け入れるようになった流れがある学校だったんです。おそらく女子校だった時代はそもそも女子しかいなかったので、いちいち女性/男性どうこうと言われなかったのだと思うんです。だから気にしていない人が多かったのではないかと思います。先生も結構フランクで、良かったですね。「男性はこうじゃなきゃダメ」「女性はこうじゃなきゃダメ」というようなことも言われなかったです。

第2章 上海での留学生活で見えた新しい視点

その後上海の大学に進学。全く文化の違う土地で戸惑いもあったものの、実際にそこで生活したからこそ見えてくる人や文化の魅力に触れ、ご自身の視野も広がったようです。

その後上海の大学に行ってから更に拍車がかかった感じですね。たまに両親に会うと戻りますけれど。

でも、線は真ん中ですね。

場面場面で少し男性に戻っていく感じです。社会人になるとやはりまだまだオープンにして働くのはちょっと気まずいかな、と思います。かといって、子供の頃ほどに「男らしく」という姿を求められなくなったというのこともあり真ん中寄りですね。

中国の大学に行こうとしたきっかけはなんだったのですか?

元々は小さい時から母親に「どこかしら留学に行きなさい」ということをずっと言われていたんです。1人で外に行くことが苦手なタイプだったから、最初は気乗りせずに、むしろ「ちょっと無理、嫌だな」と思っていました。

その後高校に入り、中国留学の募集があったんです。留学を斡旋する業者のポスターがあって、そこに「中国に関するイメージの作文を1枚送ってください」と書いてあったんですよね。なんとなく「応募してみるか」と思ったんです。そうしたら抽選に当選して3泊4日で上海に招待されて。

現地の大学や観光地も見学できて、その当時は中国の食品問題がニュースにすごく取り上げられていて、中国産食品がちょっと不安なイメージがあったのですが、食品問題の心配もないですよ、ということを言われて。街も思ったより綺麗でした。

東と西でだいぶ印象が違っていて、東はすごいビル群で、西に行くと下町という感じなんです。西は昔の中国が残ってるようなイメージで、結構濃い街なんですよ。観光の人は大体東側に行く方が多いのであまり知られていないかもしれませんが、まず観光じゃ来ないだろうというようなすごく濃いローカルの社会が広がっています。

留学は最初の2年は少し苦労したけど、慣れたらもう中国の方が楽しくて。当時は日本に帰りたくないなと思っていました。

今のご自身の性のあり方について、やはり上海時代の影響は大きいですか?

日本の文化とまるっきり違っていたので、環境の違いは影響していると思います。日本は「こうじゃなきゃダメ」「ああじゃなきゃダメ」、という感じで規律がすごい守られているけれど、中国は多民族国家で、いろんなことが開けているというか、そういうところに行けたのは大きかったです。中国にもいろんな人がいて、結構尊重されていました。政治的には厳しいイメージがあると思いますが、民間ではすごくオープンでした。

モラルなどを教えてきた国だからなのか、人に対してこういうことは言ってはいけないということを結構教えているようで、意外と性的マイノリティの人も多かったです。

そこは尊重するというか、自分から主張をしている様子なのでしょうか?

国民性もありますよね。日本は隠しますが、中国は結構「〇〇だったらといってななにか問題でもありますか?」といった方が多かったです。

それで割と線が真ん中に近くなったかな。真ん中の線を超えてはいないけど、ここを超えたら自分はもう女装家になるなと思っていました。中国生活は楽しかったですね。海外生活はいいなと思いました。

上海にも新宿2丁目のように性的マイノリティ文化が盛んなエリアがあるのでしょうか?

あそこまで集まってはいないものの点在はしていて、こっそり溶け込んでるという感じです。やっぱり政治的に当局がどう出るかわからないというのは多分あるだろうと思います。あまりそのことをオープンに営業はしていないけど、それなりの店舗数があって、ここの町に1、2店舗、ここの町に1店舗という具合で、まとまってはいないけどそれなりに楽しんでるんですよね。

同性同士で手繋いで歩いていても普通ですか?

多分何も言われないと思いますね。ただやはりお父さんお母さんの前では絶対言えないという人は多かったです。カミングアウトする勇気がないという人もいました。親世代は日本の昭和と同じような感じで、多分今ほど性的マイノリティに寛容じゃなかったのかなと思います。1997年くらいから犯罪じゃなくなったそうで、逆に同性愛は1997年までの犯罪だったたそうです。(※中国では1997年までは同性愛が「流氓(りゅうぼう)罪」として犯罪とみなされていた。)

大学卒業されてから日本にすぐ戻られたんですか?

はい、戻ってきました。中国はビザが厳しい国なのでどうしても…という感じです。学校のビザはすぐおりるけど、就労ビザというとどうしても向こうの企業に入らなきゃいけないのですが、なかなかそれも競争率が高くて。

振る舞いについては、割と男寄りではあるけどちょこちょこ女寄りになっていきました。性自認の部分は割と早いうちに(体の性と性自認が)分離したかもしれないです。最初は周りから「男、男」と言われて、でも自分の中ではしっくりきていないという感じがありました。最近は大人になるにつれて、女性的な面も増えたかな、と感じています。行ったり来たりはしてますが。

※台湾 LGBTQ+パレードの看板

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