interview

一貫した自分を手放す。
『​​身近な出来事に応答』する生き方

山本 尚毅
2026.1.5
山本さんを連想する単語というと、子どもと大人、そして"未来"が浮かびます。そんな山本さんはどのように他者と接し、ジェンダーについてどう考えるのか伺いました。
山本 尚毅

シンクタンクで子どもが大人になることや人文知のビジネス応用を研究。現在4業種4職種4社目、渋谷のデザインスクールで未来につながるデザインを考えるフューチャーデザインラボを運営する

ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4 5
  1. 素直で鈍感だった幼少期。友達や親友のあり方が掴めずに過ごしていた。

  2. 雪をきっかけに社会問題に自前の視点で応答する可能性を見つけた大学時代。

  3. 子育てや教育を元に考えるジェンダーについて。

  4. 分人主義から自分のあり方や社会との折衝を考える。

  1. 素直で鈍感だった幼少期。友達や親友のあり方が掴めずに過ごしていた。

  2. 雪をきっかけに社会問題に自前の視点で応答する可能性を見つけた大学時代。

  3. 子育てや教育を元に考えるジェンダーについて。

  4. 分人主義から自分のあり方や社会との折衝を考える。

INDEX
  1. 素直で鈍感だった幼少期
  2. 社会問題とジェンダー
  3. 子育てとジェンダー
  4. 他者への振る舞い方とは
振る舞ってきた性
性自認

第3章 子育てとジェンダー

現在、2人のお子さん(娘/息子)がいる山本さん。子育てをしていく中でのジェンダー観や子どもとジェンダーという側面での考え方を伺いました。

子育てで気にされていることはありますか?

そうですね...。最初は妻と、娘に対して『女の子だからピンク』という考えで服や小物を選ぶのは嫌だよねなどと話していました。とはいえ、今、娘はペールブルーや淡いパープルが好きなようですけど、やっぱりいわゆる女の子らしい色に収まっていくもんだなと思いました。性別で縛るような教育はなるべくしないようにとは思っているけれど、不思議に女の子は女の子っぽく育っていくし、男の子は男っぽくなっていくよな、と。妻はジェンダーのことをすごく気にしているから、ジェンダー意識の始まりとして、幼少期の接し方もたまに議論したんですけど、今ある社会の流れに近くなっていくんだよなと思うと、それに抗うのはちょっと違うなとも思っていますね。

あとは家庭によっても違うなと感じていて、うちの子どもの名前は完全にわかりやすく、しかも誰もが読める名前にしようとして古風な名前にしたんですけど、姉の子は一見男の子か女の子かわからない中性的な名前だったんです。姉に『なんで?』と聞いたら、『性自認が今後どっちになるかわかんないじゃん。どっちになってもいいような名前にした。』と言っていて、名前をつける時にそんなこと考えているんだと意外でした。姉は保育園の先生をやっているからそういう意識があるのかもしれませんね。

確かにそうですね。また、子どもは自分との共通点を探しているのか、相手を知る時に相手が男子なのか女子なのかというところをすごく気にしている印象があります。

子どもだとよりそうなると思います。わかりやすい所属などにすごく反応する。多分人を分類する材料そのものが少ないから、目に入ってわかりやすく区別できるものとかで判断をしちゃうのかもしれないですね。心の中のことまでは、まだイメージできるほど発達はしていないので明確にそれがダメとも言いにくいですね。

また、ジェンダーが問題化されやすいシーンは、『高校生の進路選択』ですね。文系/理系で明確に男女差が出ています。今はそれを是正しようとしています。『理系に行く女性を増やそう』という動きも、ジェンダーの差というよりも単純に理系の人材が少ないからという部分もあって、国に必要な人材を性別関係なく確保したいといった背景があるから推進していますね。

文系理系で明確に男女差があるのは事実だし、女性の中でも別にそんなに算数や数学が苦手じゃないけど、性別のバイアスなどによって苦手に思っていることもあると思います。そういうのも色々わかるけど、一体この流れに対して自分はどういうスタンスでやればいいんだろうかというのは、実は定まっていないんです。たとえば女性が理系に進んだらマイノリティになるわけじゃないですか。マイノリティ側になるのを止めたくなる親の気持ちもちょっとわかりますからね。

ランドセルなどもそうですね。好きな色を選んでほしいと思う反面、リスクを想像してしまうだけに、枠から外れないようにしてしまうこともあると思います。

一口に『良い』と言っても個性として『良い』というのと、単純に見た目として『良い』というのと、世の中に反逆してて『良い』というような、色んな『良い』があるし、難しいですね。

第4章 他者への振る舞い方とは

幼少期から”はぐれメタル系”で、現在も実姉とご友人の関係に憧れているという山本さん。ご自身の他者との振る舞い方についても伺いました。

他者との境界線もはっきりしていますか?

自己自認としては、僕は人にとても影響されやすいという自覚があります。歳を重ねるにつれて、徐々に自分がなくなってきていると思っていて、自分から主体性を発揮するとかもあまりしたくないんです。外からの刺激に対して応答しているにすぎません。ただ、刺激の感度がすこぶる高く、他の人よりもクリアに反応しちゃうんだと思います。あと、僕は平野啓一郎さんの分人主義の考えが好きなんです。自分の中に15分割ぐらいできるなと考えていて(つまり15人の分人がいる)、仮に傷つくことがあっても15分の1が反応しているだけなので別に全体は傷まないと思っています。

まさに以前インタビューをしたまりぃさんもその話をしていました。別に1個失敗しても、その複数あるうちのその1個の自分が失敗しているだけだから、別に本体には影響ないという。

そうそう。まさにそうです。たとえば就職活動や転職活動は無意識的に自分を1人の人格に統一して、自分を商品化しなきゃいけないような意識になるじゃないですか。『自分は一貫した人間で、ちゃんと理由があって行動してます』という風にしなきゃいけないと思っていたんですけど、それから分人という考えに出会ったことで、自分は元々別れていたけど、より明確に分かれてていいんだとほっとしました。

その分人はどうのような分かれ方なのですか?

例えば、僕はとてもスノーボードが好きで、ストリートカルチャーが好きだけど、社会課題にも関心があって、家を開いたりとかもしてて、そういう近所付き合いとかにもすごい憧れがあるし、家の近くの飲み屋でグダグダになるまで飲み続けていたり、『この人と会う時にはこんな感じになる、この人と会う時にはこんな感じになる』という感じですね。最初はすごくそれが嫌だったんです、八方美人みたいで。1つの人格であることが前提になっているから、そうじゃない側面を見せた時にいじられるから、なんかすごい防御的に1つの人格でいようとするのは、多分そういう時から始まっていると思います。そうじゃなくていいんだと思うと、いろんな人に会った時にその時現れた自分でいればいいやと考えるようになりました。

なるほど。色々な自分が居て良いということですね。ちなみに、今回描いてもらったグラフの線はほぼ男性側に真っ直ぐですが、自認にしかり、振る舞いにしかり、男性の度合いはほぼ100%、純度100%というような感じなのでしょうか?

”The 男”ということじゃないと思っていて、ぶれてないというだけな気がします。もしかしたらもうちょっと中性寄りかもしれないです。なんて言うんだろう、自分はとても男らしいということではないです。むしろ、そこまで男らしいという自覚はなくて、自分的にはナヨっとしている感じがすごいしているんです。でも、男らしいとも思わないけど、別にすごい自分の中で女々しさがあるとも思ってないです。でもThe 男というような『俺が守ってやるぜ。』というようなことは絶対言えないですね。男だからしなきゃいけないことということに対しての抵抗感は結構あったかもしれないですね。性別役割に対しての抵抗というか。

まさにジェンダーロールの押し付けについて、インタビュイーの皆さんに伺っているのですが、それをなくしていくには何をしたらいいと思いますか?

男性側が女性に対して『一緒に住んだら掃除・洗濯・炊事のようなことやってくれるのかな』という期待を抱いてしまうことは多くあると思うんです。それがちゃんと裏切られることというのが大事なんじゃないでしょうか?それは生活を成り立たせるために必要な要素なのであって、男性が、女性がということじゃないです。

世間の風潮が昭和的な役割のままだったら、夫自身からじゃなくても、両方の家族などから押し付けられるかもしれないですよね。『そういうことは女性がやるのよ』というように。それで渋々その空気に従うというのはあると思うし、男性側もそういう空気だから、その状況を疑いもしないというのはあったかもしれない。でも、今ここ10年ぐらいの空気というのは50:50を目指すという流れになってきたと感じるので、それに従っています。ここも周りにすごく影響されているんです。

最後に、悩んでる時の対処法やコツというのがあればぜひ教えていただけますか。

例えば『周りから見た自分とのギャップ』で悩んでいる方も多いと思います。でも、外部からの刺激を受けやすい僕としては、まず周りから見られているところを期待だと受け取るタイプなんです。そういう風に期待されているんだなと。じゃあその期待に応えたらどうなるんだろうなという具合で軽く考えるかもしれないです。

だから、まずはそのフィードバック(周りから見た自分像)に対して応答してみて、どうなるんだろうな、というぐらいな感じで、生きるかもしれないですね。それから、今まで働いてきたそれぞれの会社で『こいつは何ができるんだ』と常に思われている中で、その『何ができるんだろう』ということの解像度をなるべく高く理解して、『何ができるんだろう』に答えながら自分のやりたいことを作っていくような感じで生きてきたので、自分が主張して『私はこうだ、自分はこういうことやりたい』ということは主体性が搾取されるような気がして嫌なんです。僕が好きな言葉で『絶対的受け身から真の主体性が生まれる』があるんですが、受動性と主体性のバランスのようなものはすごく大切にしています。

『本当の自分はこうなのに』とか、『これがやりたいのに』という主張ばかりでなく、周りからの見え方だったり、言葉だったり、そういうものを受け入れつつ客観的に見ている感じでしょうか。

そうですね。さっきの分人の話と同じで、自分が『こうだ』とどう思っていても、その私を見る人によって、その人の私の解釈は違うじゃないですか。だから、その人がどう見ているのかということに対して、自分がどうアンサーするかという風に『柔よく剛を制す』という感じですよね。そういう感じで適当に生きられるようになっているかもしれないですね。『本当の自分』なんてものを探そうとしなくなりました。

アイデンティティなどすごくそういうことに囚われた時期もありますけど、朝起きたら別の自分になっているじゃないですか。だから、もう一貫した自分でいることのコストを払いたくないと思ったのは多分あると思いますね。逆にその一貫している自分を手放したということの方が大きいかもしれないです。社会からの圧力がない限り、そうであらなきゃいけないとあまり思わないようにしてます。あの人はいつもと違うねと思われても、もういいやと思ってます。『今日は今日の自分なのでいつも違うよ』というように。

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