シンクタンクで子どもが大人になることや人文知のビジネス応用を研究。現在4業種4職種4社目、渋谷のデザインスクールで未来につながるデザインを考えるフューチャーデザインラボを運営する
素直で鈍感だった幼少期。友達や親友のあり方が掴めずに過ごしていた。
雪をきっかけに社会問題に自前の視点で応答する可能性を見つけた大学時代。
子育てや教育を元に考えるジェンダーについて。
分人主義から自分のあり方や社会との折衝を考える。
幼少期は身近な姉やそのご友人の関係性に影響を受け、また一方で縦社会である野球の世界にどっぷり浸っていた山本さん。どのような幼少期を過ごされていたのでしょうか。
小学校低学年ごろの思い出を考えると、僕には姉がいるのですが、当時同じ町内の4人の女の子で、ずっと仲良く楽しそうに遊んでいて、それがうらやましかったです。少女漫画に出てくるような仲良しグループで、たまに混ぜてもらって遊んでた時に、『なんでこんなに仲良くいられるんだろうか。』と思って憧れていました。40年弱経過した今でもずっと4人で関係を続けているのはすごいなと思っていて、それが僕の友達像を形成しました。いっぽうで、当時自分にはその距離感の友達はあまりいないなと思って、親友と友達とは何が違うのだろうとたまに考えていました。
お姉さんから影響を受けたことはありますか?
13歳の誕生日に、姉が「smart」(宝島社)という雑誌をくれたことをきっかけにそこからファッションに関心が向いたんです。姉は「Olive」(マガジンハウス)とか「Zipper」(祥伝社)を見ていました。たまに姉の雑誌を見ると、女の子の方がファッションの幅が広くて楽しそうだなと思いました。サイズがあえば着たいなと思う服もありました。あとは「セーラームーン」は衝撃でしたね。当時『女性が主人公のアニメとかあるんだ』と思いました。「ヤッターマン」のドロンジョが主人公になったというようなイメージがありました。
確かに女性ものでありながら、ヒーローのように果敢ですよね。
そうそう、月に代わっておしおきよ、という決め台詞で、『なんなんだこれすごいな』と思ってました。
お姉さんやそのご友人たちを見て、女性像がそこで形成されていると思うことはありますか?
僕の姉は、ボーイッシュだったと思うんです。女性らしさはあまり感じたことはなくて、シンプルに『2つ年上の親族』という感じです。ただ、先日朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」(日経BP)を読んでいたら、『女の人は何歳になっても些細なことを雑談して、カフェで仲良さそうにしていて、男性は目的がある会話しかできなくて、どんどん歳を追うごとに友達もいなくなって、孤独になっていく』というようなことが書いてあったんです。そういうの、実際に事実として男性にある話だと思いますし、女の人の方が楽しそうでいいなと思います。理由もなく声をかけてくれる友人は何人いるかな、と数えちゃいましたもんね。
確かに。性がゆれる時は、『いいな』や『羨ましいな』という要素はあるかもしれませんね。
もしかしたら姉と友人がいつまでも仲のいいイメージが幻影としてあるのかもしれないですね。
母は遅くまで仕事をしていて、幼少期はおばあちゃん子でした。父親は怖かったですね。僕はシシャモやシラス、魚の卵とかが苦手だったのですが、食べられずに食卓に残していたら、しばしばお皿を持ったまま外に放り出されました。食べるまで入ってくるなよと言って、厳しかったです。そんな感じでいつも怒られてました。姉はそつなくなんでもこなせて、なんでも食べられるので1人だけ怒られていましたね。
そういうエピソードを伺うと、自分はそういうことをやらないようにしようと思ったり、自己形成に影響があるように感じるのですが、どうだったのでしょうか?
僕は人の言動に影響を受けやすい性格だったので『食べ物は大事なんだな』とか思って大学で農学部に行っちゃいました(笑)。深く考えるというか、ネガティブに物事を捉えることもあまりなく、カラっと怒られる感じです。なのでカタルシスのようなものはないんです。
それは素晴らしいですね。
そうなんですよね。今は教育の仕事も多少やっているんですが、教育の仕事をやっている人の9割は嫌な先生や嫌な教育の経験があるように思います、勝手な自論ですが。それをなんとかしたいという人がすごく多いことに業界に入ってから気づきました。でも僕は小学校から高校までの過去12人の担任の先生は別に誰も嫌いじゃなくて、嫌な先生はいなかったぐらいの感じなんです。だから元々鈍感なんでしょうね。
学生時代で言うとずっと野球という男臭い世界に小4から高3までいました。
野球の世界はThe 男社会・縦社会で「男らしくいなさい」という風潮や、男ノリのようなものが苦手という方もいらっしゃいますが、山本さんはどうでしたか?
嫌悪感はなかったです。でも基本いつもクラスやコミュニティの中では深入りはしていなかったです。”はぐれメタル系”でした。例えば、3つぐらいクラスの中でグループがあるとするじゃないですか。それぞれとなんとなくいい具合の距離感で仲はいいけど、どれにもそんなに深く入らない。友達との距離感がわからなかったので微妙な距離感を取っちゃうわけですよ。
山本さんは東京デザインプレックスというデザイン学校で『Future Design Labo』という未来洞察の授業をされています。山本さんが社会問題に関心を持つようになったきっかけを伺いました。
山本さんが未来のことや社会問題に関心をもったきっかけはなんだったのでしょうか?
大学で農業環境政策学のゼミにいました。農業環境政策学は地球温暖化や水不足などそういうマクロな視点で環境を見るというゼミです。なんとなく地球環境の知識が頭に入ってくるんですが、どうにも手触り感がなくて、あまり興味はなくて。大学は北海道だったので、毎日のようにスキー場に通っていました。ある日、ふと黒い手袋をした手のひらに雪の結晶が落ちてきたんです。すごく美しいなぁと思ったと同時に、『暖かくなるとこういう感動を得られなくなるということなんだ!』と急に大学で学んでいたことと結びついたんですよ。そこでなんとなく授業で聞いてた話ともしかしたら暖かくなるってことは雪が降らなくなるってことなんだ、ということから、『やばい、ちょっと未来のこと考えなきゃいけないし、みんなに行動を変えてもらわなきゃいけないじゃないか!』というか『俺の雪を奪うな』というふうに思ったんです。未だにその時の体験が一つの原動力です。今41歳ですけど、20年来の念願かなって、雪の仕事にも取り組めています。
ネガティブな物事に出会って変えてやるぞ、という動機ではなく、今ある大事なものを守りたいイメージなんですね。
そうなんです。僕は僕自身にそんなにトラウマはなく、能天気なんです。僕の周りで起こった事件は、多分人よりも深く考えることはあるんですけど、自分自身に起こったことに関しては多分極めて鈍感だし、比較的平穏な日々を生きられている幸せな人間だと思います。「運鈍根(運が大事。鈍感であることが大事。根気強くやること)」と言いますよね。
社会問題や教育の話になると、ジェンダーが関わってくる印象もあるのですが、何か垣間見えたことなどはありますか?
社会問題に関わるようになった後に、社会起業家に関心を持ちました。社会課題を事業で解決しようと活動している人というのは、大切にしている原体験や自分が傷ついた経験があり、そこから明確な”why”を持つようになっていることを知りました。加えて、活動を起こした人の周囲や背景に気を配るようになったんです。
ジェンダーについても、社会問題の1つに含まれていると思います。今も昔もジェンダーは形や言葉を変えて話題に上がり続けているんじゃないでしょうか。いっぽうで、最初は自分にジェンダーとかそういう意識が希薄でしたが、妻が社会問題に対しての理解が比較的高い人なので、『妻を怒らせないように、傷つけないようにするにはどういう風にやったらいいのだろうか』とシャドーボクシングをする日々でしたね。