interview

『人生一度きり!』自分と向き合ったからこそ今がある

つーさん
2026.2.4
幼少期から性自認の違和感や性的指向が周りと異なっていたつーさん。抑圧していた幼少期から今に至る背景を伺いました。
つーさん

迅速な事務処理能力と多角的な表現力を武器に、実務とクリエイティブの両面から支援を行うパラレルワーカー。データ入力での圧倒的な処理スキルとSV職で培った対話力を土台に、現在は副業として動画編集やSNS運用、文章生成AI・Canvaを用いた資料作成など、デジタル領域も幅広く手がけている。また、ファッションコンサルタントとして100件以上の実績を持ち、骨格診断を通じた個人の魅力発信も得意とする。培った確かなスキルを多様な表現してクライアントのニーズを一貫してサポートしている。

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ゆらぎのグラフ

振る舞ってきた性
性自認
性のゆらぎグラフ 1 2 3 4 5
  1. 女子といる方が楽だった幼少期。違和感は感じつつも、トラブルのリスクやや周りに配慮し気持ちを抑えていた。

  2. 男子を中心に交友関係を育んだ思春期。校則などの規則が許される範囲で自分らしさの表現を模索していた。

  3. 社会の求める男性の振る舞いにどうしても馴染めなかった大学の就職活動とトランスジェンダーとしての自分の解放。

  4. 自分の人生のためにできること、誰かのために自分にできることを模索し続ける。

  1. 女子といる方が楽だった幼少期。違和感は感じつつも、トラブルのリスクやや周りに配慮し気持ちを抑えていた。

  2. 男子を中心に交友関係を育んだ思春期。校則などの規則が許される範囲で自分らしさの表現を模索していた。

  3. 社会の求める男性の振る舞いにどうしても馴染めなかった大学の就職活動とトランスジェンダーとしての自分の解放。

  4. 自分の人生のためにできること、誰かのために自分にできることを模索し続ける。

INDEX
  1. 自分を抑圧していた幼少期
  2. できる範囲で自分らしさを楽しんでいた中高生時代
  3. 人生で一番の黒歴史。就活〜社会人時代
  4. 悩みながらも自分に向き合うことを経て、今の自分に
振る舞ってきた性
性自認

第3章 人生で一番の黒歴史。就活〜社会人時代

「人生で一番の黒歴史」という就職活動では、今まで抑えていた服装や振る舞いについて、ついに限界が。そんな壁にぶつかり悩みながらも、社会復帰を経て理解者との出会いもあったようです。

あとは就活が人生の中で1番黒歴史です。

そうなんですね。1番モヤモヤが多かった時期ということですか?

そうですね。どうしても男性として就活することができなかったんです。もう男性用のスーツを着るのも嫌でしたし、振る舞いや髪の毛を短くすることもしたくなくて。一般的な男性としての身なりを整えるのが本当に無理でしたね。

就活ではっきり何かを言われたというわけではないですが、合同説明会に行くと、本当にみんな同じような髪型や格好じゃないですか。そうするとそこに居ること自体がすごく苦痛で、『なんだろうこの集団?』『なんでこれに溶け込んで活動しなくちゃいけないんだろう?』というそういう気持ちが生まれました。説明ブースに行って話を聞くんですけど、そこでも男性らしい座り方、女性らしい座り方などがあって、次に面接でもそのように男らしい座り方をして...ということが私はできなかったんです。肩幅に足を広げて、膝の上にグーを置くというテンプレートの座り方が本当にできなくて、どうしてもこれは無理だと思いました。そういうことの積み重ねですね。結局、友達や親や先生にも相談することができず、そのままドロップアウトという感じで、大学にも行けなくなって、そのまま中退しました。

やっぱり世間に合わせられない自分もいたし、周りが就職先や内定をもらったということをどんどん聞くことによって、焦りもありました。今となっては日本の社会構造が悪いということはわかるんですけど、その当時は本当に相談できなかった自分が悪いと思っていました。いろんな要素が組み合わさって鬱屈とした気持ちになっていました。

その時はどう対処していましたか?

当時はゲームをやることでその辛さから逃避していました。1年ぐらいすると自然に少し解消していって、親にさすがにそろそろ働いたりしたらどうかということを言われたこともあり、派遣社員として単発や短期のバイトで仕事をして社会復帰できたというところです。

社会復帰してから服装の変化というのが来るんですね。

そうですね。初めて長期で働けるところに就職して出会った女友達がLGBTQ+のことにすごく寛容で色々話したんです。そういうことを全然気にする人じゃなくて、その出会いがすごく大きかったなと思いますね。

その方にはカミングアウトというか、自分はこういう感覚でいるんだということを最初から話されたのですか?

ある程度してから話したと思います。でも、なんとなくそのお友達も、私の仕草や振る舞いなどを見て、トランスジェンダーなんだろうなというのはもうわかってたみたいです。そこまで時間経たずにカミングアウトをした感じですね。

LGBTQ+に理解があるというのは、どうしてわかったんですか?

その女友達から、『私の友達にも性的マイノリティの人がいるから全然気にしてないよ。』ということを言われたんです。本当にフランクな感じで接してくれたのがありがたかったです。すごく良い出会いでした。

その時の心境をぜひ教えて下さい。

カミングアウトを1番最初にしたのは、小学校からの友達なんです。その人はシスジェンダーの男性なのでやっぱり私の気持ちはわかりかねるところがあったと思うんですけど、就職先での女友達に関してはそう言う面も受け入れてくれて、理解してくれているのかなと言うのは感じました。

徐々に服装を変えて変化させていくことができたというのは職場もプライベートもどちらもですか?

そうですね、本当に少しずつですけど、徐々に明るめの色だったり、デザインもメンズ用だけど、丈の長いシャツでワンピースにも見えるような可愛い感じのものを選んだり、そういう服を古着屋で買ったりして徐々に移行していきました。

本当に楽しいですし、本来の自分に近づいていってると感じました。

自分を開放していった過程で、周りの目がいい意味でも悪い意味でも変わったなと感じたことありますか?

服装のこともそうですし、初めてできたトランス女性の友達にいろいろ教わって、一緒に服を買いに行ったり、コスメを買いに行ったりもしていました。そうやって少しずつメイクをしたり、自分でも試したりしながら変化していく中で、周りから褒められたり、『綺麗になってきているね』と言われるようになったのは、すごく嬉しかったです。なので、最初にできた自分と同じトランス女性の友達とは、今はそこまで連絡を取っていないのですが、ありがたいきっかけをくれた存在だなと思っています。

トランス女性のお友達はどうやって知り合ったんですか?

これは実はなんとゲイアプリなんですよ!

当時、jackdというアプリがあって、私も好きになる対象が男性だったので一応登録はしていたんです。向こうからメッセージが来て、今度会いましょうとなり、実際に会ったというのが出会いでしたね。

例えば自分がマイノリティーであることを認めたくない、男性で居続けなくてはいけないんじゃないかという考えをされる方もいると思うのですが、葛藤はなかったですか?

それはありました。特に上京するまでは、周りの目がやっぱり気になりました。地元が仙台で、仙台は東北地方の中では都会ではあるというところなんですけど、それでもやっぱり東京に比べれば、視線やめずらしいものを見るような空気は気になりました。それは上京してきた時に差をすごく感じましたね。

その葛藤はどうやって乗り越えていったのですか?

30歳ぐらいになった時にふと『私、このまま地元で人生を終わらせていいのかな。』という思いが急に降ってきて、しかも当時から父の介護もしていたんですね。そういうことで一生終えるのかと考えたら、すごくもう悲しいというよりかは、このままでいいのかという焦りのようなものが出てきて、これはどうにかして県外に出ないといけないと思いました。

それで、女装の人やトランス女性を好きな男性が集まるサイトがあるんですけど、そこで誰か県外に良い人いないか探して、たまたまそこで出会った人が神奈川県に住んでいたので仲良くなって付き合って、同棲しました。すごい勢いで進んでいったんですが、本当に追いつめられてたんですよね。もう地元にいるのはきついなと本当に感じ始めていました。

ネガティブな目で見られるという感覚もありましたか?

ありました。これは強く記憶に残っているんですけど、高校生ぐらいの男子4人組が仙台駅で他人を見て『男なのか女なのかどっちなのか当てる』というクイズのようなことをしていたんです。その時私がターゲットにされて『男じゃない?女じゃね?』という話をしていました。その時は男性だと考えている人が2人で女性だと考えている人が2人で割れていたんです。イヤホンはしてたんですけど、聞こえてくるので気になっちゃって、それはきついなと思いました。高校生なんてまだ若い世代なのに、そういうことを言うんだと残念に思いました。

女性の方で、女性として生まれた方がボーイッシュな格好をした時に『男か女かわからない』と言われたことに対して、『私は完全には女性として見られてないんだ!嬉しい!』と思ったというお話も聞いたことがあります。当たり前ですが、捉え方は人それぞれですね。

確かに今となっては完全に男性として思われていないと考えられるんですけど、やっぱり当時はそこまでのマインドはなかったです。別に心の中でどう思われるかは全然いいんですが、わざわざ口に出して、男なのか女なのかということをやられるのはどうなのかと思います。

現在はトランス女性として半年前からホルモン治療をされているんですよね。

そうですね。今までもホルモン治療をやりたいなと思いつつも、リスクやデメリットもあるので避けてきたんですけど、過ごしていくうちに徐々に『人生は1度きりだし、やっぱり自分の生きたいように生きたいな』ということで、今年から治療を始めました。あと、今年の2月から今のパートナーと同棲を始めたんですけど、そのパートナーも東京に来てからホルモン治療を開始したので、時期は少しズレはあるのですがお互いにホルモン治療を始めたという感じですね。

すごい!お互いホルモン治療をしていらっしゃるんですね。

そうですね。パートナーがトランス男性なんですけど、お互い逆転していくカップルという感じです。

治療を決断するまでは誰かに相談はされましたか?

パートナーと相談しつつ、あとはほぼ自分の決断という感じですね。でも周りにいるトランスの方だったり、LGBTQ+の知り合いなどにも話は聞いていました。

上京してからlgbtのコミュニティで知り合いを増やしていったんですね。

上京してきたのは、自分らしく生きたい、親の介護から逃げるという意味合いもありましたが、それに加えてLGBTQ+の認知拡大や理解向上の活動をもっとしたいということもありました。仙台にいる時からは徐々にやってたんですけど、地方だとあまりそういう団体やコミュニティも少なくて、東京にはコミュニティがたくさんあるので、活動の幅が広がるなと思ったというところも上京した理由の一つにありますね。

女性として生きていくことについて、ご両親や周りの方には話されているのでしょうか?

母親には上京するタイミングで伝えました。子供の時から可愛いものが好きだったり仕草などから分かっていたのか、特にネガティブな反応ではなく、事実として受け止めてくれたようでした。ただ、母も世代的に完全に理解はできないのか、私の長い髪が好きではなかったり未だに息子としてみていると感じます。

父は3年前に帰省した際、父と父の友達、ヘルパーさんなどを交えて食事をした時にカミングアウトをしました。話した直後は数秒沈黙がありましたが「わかった」とすぐに受け入れてくれました。その瞬間、父にはカミングアウトできないだろうと悩んでいたモヤモヤが一瞬でスッと消えていって気分が晴れやかになったのを今でも覚えています。

また、兄がおり、兄にも父親のカミングアウトの時に直接会って伝えたかったのですが、予定が合わず言えませんでした。後日、父親が勝手に兄にわたしのセクシュアリティを言ってしまい、結果認知される結果となりました。どのみち言うつもりだったのでいいですが、父親にそれはアウティングということを説明しました。ただ、兄からそれ以後一切連絡はなく、わたしも何か連絡するのが気まずくなり絶縁状態が続いてます。

お母さまからの反応など、完全に理解されていないことへモヤモヤはありますか?その際どのように対処されているか伺いたいです。

モヤモヤは今でもあります。ただ、人の考えや価値観は家族など身近な人にどうこう言われても変わらないと思っているので、「まあしょうがないかぁ」程度になりました。もちろん娘と見てくれたら嬉しいのが本音ではあります。

第4章 悩みながらも自分に向き合うことを経て、今の自分に

就活での失敗や大学の中退など、落ち込んだり悩んだ時期もあったものの、自分に向き合うことをやめなかったらこそわかったことを教えていただきました。

社会人になってから『人生一度きり』というマインドで進んできているんですね。

そうですね、人が180度変わったかのように変わりましたね。本当に東京に来て、やっと自分らしく振る舞えるなと思えたし、そういった活動に力を入れられてるんだなと思いますね。

活動というのは具体的にどういったことをされているんですか?

所属している『乙女塾』に関しては、スクールとなっていて、主にトランス女性や、女装家の人を支援するスクールなんですけど、私はファッションの講師をやっています。それ以外にもボイトレ、胸の育乳、メイクなど、結構いろんなクラスがあります。あとは定期的にイベントをやっているので、トランス女性の方などと繋がりを持たせてくれるところが魅力だと思います。

もう1つ所属している『ALLYES』に関しては、『ひかるん』というトランス男性の人が代表として運営しているコミュニティで、ALLY(※性的マイノリティの方々への理解や支援の意思を表明する人であること)を皆さんが表明して、参加や登録してくださってるというところです。活動としては、ALLYを可視化するために、いろんなイベントに参加したり、パレードを運営したり、ワークショップやったりして、LGBTQ+の知識や考え方を広めています。LGBTQ+の人たちはこういう感じだよということを広めてる感じですね。

精力的に活動されているつーさんからみて、まだまだ性別のラベリングが残ってるこの社会はどう感じられますか?

今、LGBTQ+などという用語や言葉は広まっているけど、まだ同性婚が認められなかったり、トランスジェンダーに対するアンチがいたり、バッシングやバックラッシュがあったり、性的マイノリティに対しての風あたりも厳しいと思っています。でもそれに立ち向かうと言ったら大袈裟かもしれないし、真正面から立ち向かわなくてもいいのですが、『自分は自分』で『なんか生きれる場所』、それこそコミュニティやサードプレイスなどというところを見つけて各々が自分らしく生きられるようにしてほしいなと思います。社会に対しては、私も先ほど言ったALLYESで活動しているので、もっとALLYの人を増やして、社会そのものを変えていきたいなという風に考えています。

学生の頃から自認が一貫してぶれない中で、抑圧の時期があって、でも人生このままじゃダメだと気づいてからぱっと変わったと思います。やはり人生でちゃんと自分と向き合おうという自意識を持てたからなのでしょうか?

そうですね。就活で失敗したことが大きかったと思います。失敗はしたけど、逆に自分を見直す時期にもなったのかなというところがあって、そこから本当にどんどん成長じゃないですけど、自分の生きたい方向に生きてこれたのかなと思います。

就活で失敗した後の期間は充電期間だったのかなと今となっては思います。もちろん失敗や中退はしたくなかったですけど、それでも今こうやっていろんな活動ができてるので、必ずしも失敗がダメだったわけじゃないというのは言いたいですね。

自己が見える瞬間というのは必ずしも成功体験だけじゃなくて、そういう何か足らなかったことかもしれないけど、負からもちゃんと見えてくるんですよね。そう考えると、何か悪いことが何か起こったとしても、そこから何かしら掴めるものがあると思えると、希望になります。

そうですよね。本当にそういう性自認や性別に限らず、なんでも失敗から学べることもあると思うので恐れずに挑戦していってほしいなと、今の私だから言えますね。

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