迅速な事務処理能力と多角的な表現力を武器に、実務とクリエイティブの両面から支援を行うパラレルワーカー。データ入力での圧倒的な処理スキルとSV職で培った対話力を土台に、現在は副業として動画編集やSNS運用、文章生成AI・Canvaを用いた資料作成など、デジタル領域も幅広く手がけている。また、ファッションコンサルタントとして100件以上の実績を持ち、骨格診断を通じた個人の魅力発信も得意とする。培った確かなスキルを多様な表現してクライアントのニーズを一貫してサポートしている。
instagram女子といる方が楽だった幼少期。違和感は感じつつも、トラブルのリスクやや周りに配慮し気持ちを抑えていた。
男子を中心に交友関係を育んだ思春期。校則などの規則が許される範囲で自分らしさの表現を模索していた。
社会の求める男性の振る舞いにどうしても馴染めなかった大学の就職活動とトランスジェンダーとしての自分の解放。
自分の人生のためにできること、誰かのために自分にできることを模索し続ける。
可愛いものが好きだったり、女子といるほうが楽だった幼少期。自分の気持ちを抑え込んでいましたが、その裏にある気持ちは摩擦を避けたりトラブルを起こしたくないという、周りへの配慮から来たものでした。
幼少期にぬいぐるみと赤いエプロンを身につけていた写真があって、物心ついた時からそういう可愛いものが好きでした。友達も小学校の時は女の子が多かったです。
最初にできたのは男友達で、その子とも遊んでいたんですけど、徐々に女の子の友達が増えてきて小学校3年生から6年生ぐらいまでは女の子の友達と遊んでいることが多かったかなという感じですね。
女の子の方が話が合うなど、接しやすかったのでしょうか?
多分そうですね。まだ小学生だったので、あまり自我をそこまで認識したり理解できていたわけじゃないんですけど、男の子の友達とも楽しく遊んではいたものの、女の子のお友達と喋ってる方が心地よかったというか、すごく自分らしくいられたのかなと思いますね。
男の子と遊んでいるときに違和感はありましたか?なんとなく女の子の方が気が合うなといった感じだったのでしょうか?
当時は男の子たちの間で、ミニ四駆やエアガンなどという遊びが流行っていたんです。ミニ四駆やプラモデルなどの工作は全然得意じゃなかったんですけど、当時流行っていたからとりあえずやってみようと思ってやっていました。エアガンもやってはいたんですけど、やっぱりどちらかというとやらされてた感が強くて、あまり夢中になってやることはなかったです。友達もやってるから自分も合わせようという感じでした。本音としてはエアガンは危ないなあと思っていて、そういう男の子らしい遊びをやりたいわけじゃなかったですね。
小学校の女子は可愛い文具などの話題で盛り上がりがちかなと思うんですが、持ち物などに関してはどうでしたか?
文房具などに関しては親が買ってくれたので、多分メンズのものだったんですけど、当時ビーズとかキラキラしたスパンコールなどを集めるのが流行っていて、すごく楽しかったですね。やっぱりキラキラしたものや可愛いものが好きでした。
服装に関しては、メンズのものを着ていました。昔から抵抗というものを全然してこなかったんです。親とトラブルや喧嘩になるのも嫌だなと思って、本当は着たくないけど、泣く泣く着てました。
うちは家庭環境が複雑で、私が生まれた時からもう母親と父親があまり仲良くなくて、当時も家庭内別居・離婚寸前という具合で、今現在もそのような状況なんです。ずっと紙切れ1枚でとどまってるという感じなので、あまり私が色々言うのもはばかれるというか、家庭の空気感を乱したくないなというのを子どもながらにずっと思っていて、そういうトラブルなどを起こしたくないなというのはありました。
察するというか、周りに配慮していたんですね。それは、家だけではなく小学校生活などでも同じだったのでしょうか?
そうですね、基本的にはずっとおとなしい性格で、あまり他の子と喧嘩などをするタイプじゃなかったですね。
そうすると我慢するというか、自分のやりたいことを抑えて、相手が望んでるようにやるというのはフラストレーションが溜まりませんでしたか?
それはもちろんあるんですけど、ただ、『もうなんかしょうがないかな』というように達観してるような感じでした。時にはもう家出してやろうかなと考えたこともありましたけど、結局そういうこともできず、そのまま過ぎちゃいましたね。
しんどさ的には苦しいとまでは行かなかったので、4ぐらいですかね。半分まではいかないぐらいだったと思います。
外見は男の子だけど可愛いもの好きだなということに気づいていったり、周りとちょっと違うなというところも、物心ついた時から感じていましたか?
そうですね、違和感を持ち始めたのが小学校高学年くらいでした。小学5年生ぐらいの時に好きになった人が男の子だったんですけど、その時ぐらいから、やっぱり自分は女の子なのかなと考え始めました。女の子として男の子を好きになるいう気持ちが芽生えたのが、小学校高学年だったと思います。
それは自覚して受け入れられるものでしたか?
迷いや、それこそ揺らぎのようなものはありました。その後の中学校では思春期が来て、周りは男性だったら女性が好きということが当たり前な中で『なんで自分は男子が好きなんだろう』『なんで自分は逆なんだろう』という疑問を持ちながら生活していました。当時はインターネット環境を持っていなかったので、性的マイノリティなどの情報のキャッチアップができなかったというのもあり、ずっと迷ってましたね。とは言いつつ、親に聞くのもはばかられて、聞いてトラブルになったらどうしようなどその時から考えて聞けなかったです。
幼少期から変わらず服装などは男子のものを着用していたつーさん。しかし校則から外れていない髪型で自分らしさを出してみたりと、できる範囲で自分らしさを出していたようです。
中学や高校の男子学生として生活するときはどうでしたか?
小学校や中学校の前半ぐらいまでは髪型や髪の長さも親から指示があったので短くしていたんですけど、短いのが嫌だったので徐々に伸ばし始めて、高校になってからは短いけどショートボブぐらいの長さをなんとか維持していて、大学生になったら、さらにちょっと伸ばして普通のボブぐらいにしていました。
学生時代はもちろん男子の制服を着ていました。ですが生徒指導はそこまでは厳しくなくて、長さに関しては指摘されなかったんだと思います。記憶にはないぐらいなので、そんなに強く言われなかったんだとと思います。
周りからも特段なにか言われたりはしませんでしたか?
そうですね。髪の長さに関しては、極端に長かったわけでもなかったのでそこまでいじられることはなかったと思います。
ただ、多分見た目は男子なんですけど、仕草などには随所に女性らしさがでていたと思います。大学や社会人になってから高校の友達や小学校の友達にカミングアウトをしたんですけど、やっぱり大体みんな仕草でわかってたと言われるので。でも当時はそれをからかわれるということはあまり無くて、『なよなよしてるな』ということを言われた記憶は若干ありますが、そこまで私の耳に直接届きはしなかったんです。
制服も、男子制服は好きだったんですけど、でもやっぱりスカートは履きたかったという気持ちもありましたし、ネクタイじゃなくてリボンをつけたくて、ずっと憧れがありました。でもトラブルは起こしたくなかったので受け入れたという感じです。
ありがたいことに、大きないじめやそういうのはなかったんですけど、体育は、ちょっときつかったかなというのがあります。というのも、高校では授業が男女別になり、女子はダンスなどをやっていたのでそういう方がやりたかったなというのはありますね。
男子学生しか選択しない種目が大変だったんですね。
そうですね、それは本当にきつかったです。私は本当に当時から筋力が全然無くて、肩の力もなくて、女性と腕相撲しても普通に負けちゃうぐらいなんです。剣道だとどうしても対面で対戦したり、ラグビーだとタックルがあったりするから、そういうパワー競技はやりたくなかったです。
男子らしいことをしたくないというのもありました。力がなかったからそういうことをやりたくないし、華奢である方が嬉しいと思っていたので、筋肉をつけたいとも思っていなかったです。
(グラフには)思春期ということもあり、男女で話してるとからかわれるため、男友達としか話せないとありますね。
そうですね。気恥ずかしかったのが、急に女子友達と距離を置くというか、喋れなくなったんですよね。当時はコミュ障だったというのもあって、本当に仲の良かった男友達4、5人ぐらいしか喋れなかったです。授業でも教科書読みなどがあるじゃないですか。そういうのも、もぞもぞ喋るぐらい恥ずかしがり屋でしたね。中学から大学ぐらいまではあまり女友達ともまともに話せなかったです。
元々女の子といる方が楽だったといったところから女友達とは距離を置くようになって、コミュニケーションの難しさに直面したのでしょうか。
そうですね。でもあまりそこまでは悩んでいなかったとも思います。どうしても中学からは男子は男子、女子は女子という感じになるじゃないですか。コミュニティというか分担のようなものがあって、そこからどうも女子の領域には入れなかったという感じです。
私自身はゲームなどの男の子が好むものも好きだったこともあり、話の合うところは全然あったので、男子といる分には違和感などはなかったですね。